「目の前の人を大事にする」ということ

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私は、大きな目標や夢、どうしても成し遂げたいことがあるのはいいことだと思うけど、時々一生懸命すぎてそれしか見えなくなることがあります。

そして深く考えずに行動して、その人がしたくもないだろうことをお願いしてしまったり、善意に甘えてしまう。

でも自分が思うよりも、自分の意図は伝わっているもので。
言葉や表情から、相手が「私は利用されている」って感じてるんだと気付いたことがある。

そのとき、私は自分がとても恥ずかしいなと思いました。

「私は利用されてるんだ」「使われてるんだ」って思ったときのむなしさとか寂しさは、自分もよく感じることがあります。それと同じ思いをさせてしまってる、「これは一番恥ずかしいことだ」と思いました。

成し遂げたいことがどんなに意義があって、人のためになるようなことだとしても、その過程でこんなことをしていては意味がない。

「人を手段にしない」というのは、とても大切なことなんだと思います。

それを改めて気づかせてくれたのは、クルミドコーヒーの店主、影山知明さんです。
先日、著書「ゆっくり、いそげ〜カフェからはじめる人を手段化しない経済」が発売されたので購入しました。

この本にも書かれているし、以前影山さんにイベント登壇していただいたときにもお話されていたこと。

仕事をしていると(特に成果を強く求められる仕事だとなおさら)、「このひとと付き合っていることで自分が得をするか」という判断で人付き合いをしてしまうことがあると思います。

それは「人を利用し、利用される関係」となってしまう。

でも影山さんは、「目の前の人を大事にする」「目の前のひとに自分が何をできるのか」をとても大事にしているそうです。

「それって地域活動とかだけでなく、自分のお店の店員さんたちにたいしてもそうなんですか?」と聞いたら、「そうです」とおっしゃっていました。

働くひとたちにとってクルミドが、「自分は自分でいい、と言ってもらえる居場所」であってほしいと。仕事でそういう関係が作れるって、すごいことだなあと思います。

影山さんを見ていると、誰にたいしてもそういう思いで接しているということが伝わってきて、私は自分を反省しました。

とはいえ私は、やっぱり時々ずるいことを一瞬考えてしまったりもする。

そういう時は、
「目の前のひとを手段だと思ってないかな、本当に大事にしてるかな」
と意識を正すようにしています。

心がなんの曇りもなく美しいひとはいないと思うので、「意識を正す」ということができるかできないかでは大きく違うと思います。

人生は間違って正しての繰り返しでなんとかやっていけるものなのかなあ、と今は思っています。

そう思わせてくれた影山さんには、とても感謝しています。

タイトルも帯も、影山さんらしくてすごくいいなと思います。
とても素敵な本なので、みなさんにもぜひおすすめします!(^ ^)

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