「私にとって祈りとは生活です。
食べられないでいる人に、どんなに拝んでも満たされないですよね。
私は生活すべてが祈りだと思っています。
だから、私の祈りは動の祈り。」
生きているうちに絶対お会いしたいと思っていた、佐藤初女さんの講演会へ行ってきました。
94歳の初女さんにとっては、東京まで来るのは本当に大変なことで、よく来てくださったと心から感謝を感じました。
心や体を病んだひとたちを受け入れ、ただ初女さんのつくったごはんを食べて、ただ寄り添う。
それだけで生きる力が湧いてくるという、青森の岩木山麓にある「森のイスキア」を主宰しています。
初女さんのつくった梅干しを食べて、自殺を思いとどまったひとがいるそうです。
「食べることは自然のいのちと心をいただくこと。」
おむすびはけっして固くにぎらない。
それは「ごはんが呼吸できるように」なのだそう。
初女さんの言葉を聞いていると、いつもどんなものにも命があるようにお話している。
そして、いのちと自然と心は初女さんのなかではいつもつながっているんだろうなと思う。
「冬の中にも春があります。
春を待ちわびる心というのは、本当に希望があると思いますね。」
これはきっと、悩み苦しんでいるときだとしても、その中に必ず春を待ちわびる心が眠っていて、それこそが希望だということなんだろうなと感じました。
「他人のために働くというのは私たちが生まれたときに与えられた天性です。
心の喜びを感じると、それ以上のものはないんですよ。
私は感謝と喜びというのが、力になっていると思いますね。」
「私たちはどうしてこの社会に生まれてきたのかなあと思います。
私は毎日生活を大切にして、元気で自分のできることでお手伝いさせていただこうと思ってます。」
自分が楽しめば人も楽しいし喜ぶというのはよく聞くし、それも一理ある。うらやましいなあと思う。
でも私は自分を俯瞰して観察したときに、「人が楽しそうで喜んでるから、やっと自分も楽しいし喜べる」という感じがある。
やっぱり人を喜ばせたいし、一緒に楽しみたい喜びたい。
「愛とは自分だけでなく、お互いに喜びになれるように努力してやることです。
だから自分のためでなく、みんなのためにいいことをしたらいいと思う。」
初女さんの話を聞いていて、「人を喜ばせたい」というのは、人間が本能的に持っている感情なのかもなあと思いました。
「ゆっくりお元気で、そして社会のためにも役に立つようがんばってください」
本当にゆっくり小さな声でそうおっしゃっていました。
最後の一息まで生きんとして生きる。
初女さんのちっちゃな体から、そんなメッセージを感じました。
初女さん、ありがとうございました。
森のイスキア、行ってみたいな。